トランクルームについてのご意見

ところどころにお屋敷があるので、その庭木が借景になって、ゆとりのある街並みをつくっている。
この街に住むことで、私の気持ちは落ち着いて、日々の暮らしが楽しいものになっている。 自分らしい家にしたいならでも、ところどころ、たとえば五〇坪の土地を三分割して売ったのであろう色とりどりの区画があったりして驚くことがある。
あとから引っ越してきた私などがなにかを言うのはよくないのだろうけれど、五十年かけてできた地域の財産を壊すのはあっというまなのだなあ、と情けなくなる。 そもそも個性とは、目立つものではない。
獲得するものでもない。 人にみせびらかせるようなものでもなくて、逆に、自分は気づかずとも人が感じとる類のものだろう。
あなたの家をあなたらしくしたいならば、過剰な装飾をやめること。 目立つようなことは、なにもしないこと。
それでも、あなたの日々の暮らし方、家の手入れ、自分が楽しめるようにささやかに花を育てたり、かわいらしいものをそっと置いたり、 あるいは自分が気持ちのよいように玄関を清潔にしたり水を打ったりするような心配りが、おのずから家にあなたらしさを備えさせるに違いない。 人の住んだ家なんてぜったいに嫌、という人もいるけれど、中古住宅のよさを知らないなんてもったいない。
私は、服や靴、本や食器は新しいものを買いたいけれど、家と家具にかんしては古いものにはかけがえのないよさがあると思っている。 だいたい、中古という言い方がよくない。
いかにも、誰か知らない人が使い古したもの、という感じがしてしまう。 「新築」と「中古」という分類をやめて、「築何年」という言い方に統一すればいいのに。
新築なら、「築○年」と言えば済む。 私か中古住宅を好きなのは、ただ古いからではない。

人が住んだことのある家には、あたたかみがあるからだ。 たぶん、家は住む人といのちのやりとりをするのだ。
人は、家に住みながら家に生命力を与え、家は、住む人にやすらぎやいごこちといういのちのモトを与えてくれる。 そのやりとりがあって、家には、ただの「物」ではないぬくもりや息づきが備わってくる。
家に備わった「いのち」は、住み手がいなくなるとしだいに消えていく。 でも、住み手が替わっても、新しい住み手にいのちを与え、新しいいのちを受けとって、受けつがれるものでもある。
私は、古い家から、たくさんのいのちのモトを与えてもらってきた。 建てたばかりの家はたしかに清潔だけれど、よそよそしい。
もし、私にたくさんの資金ができたときには、思うがままの家を新築したいという気が起きるかもしれない。 そのときには、それなりのエネルギーを奪われることを覚悟するだろう。
できたばかりの家は、「住まい」になるために住み手の生命力をたくさん必要とするもののように思う。 ちょうど、新生児が親のエネルギーをかぎりなく奪うように。
さいきん、わが家からほど近い築三十年のマンションに引っ越した母が、こんなことを言っている。 「私は、結婚したときは立派な家を建ててもらった。
お父さんが亡くなって東京に移るときには、その家を売って、新築のマンションをなんの苦労もなく手に入れてきた。 それをあたりまえのように思ってきたけど、今回、考えが変わったわ。

年をとって、新しい街に住むんだから、もし新築のぴかぴかのマンションに引っ越したら、さびしくて耐えられなかったと思う」
今回、母の選んだマンションは、マンションが花だった時代に、リゾート用として建てられたもので、だから三十年たってもじゅうぶん住みたいと思わせる風格を持っている。 しかも、売りに出た部屋は、前の住み手が建築家だったらしく、内装を大胆に替えて、床と天井を無垢板で張りつめ、 キッチンまわりもまるでヨーロッパの家のようにしゃれたつくりになっていた。
そのおしゃれさと風格に、「中古」に抵抗のあった母でさえ惹かれたわけだ。 けれども、住んでみると、おしゃれであることよりも、「なんだか、ほっとするのよ」と感じる家のあたたかみが気に入ったらしい。
「人の住んだことのある部屋って、いいわね」などと言いだすくらい。 私自身のいまの家も、やはり築三十年以上の古い家だ。
なんということはない家だけれど、住んでいた老夫婦のさまざまな工夫を見つけるたびに嬉しくなる。 勝手口に近い収納庫の内側に、自転車や納屋の鍵をかけておくフックを取りつけてあり、勝手口には取りはずしのできる網戸がつけてある。
洗面所には洗濯機サイズのくぼみが切られている。 夫婦で相談して、ちょっと意見の相違もあったりしながら工夫したんだろうと思えて、気持ちがあたたかくなる。
改築の跡を見つけるのも、楽しい。 トイレをあとから広げたらしく、トイレの前の廊下が妙に仕切られた不思議な空間になっている。

私たちが寝室に使っている二階の部屋は、子ども部屋だったらしいが、あとから部屋を広げたらしく、天井が二段に分かれている。 リビングの天井も、あとから広げた南側は一段低くなっていて、それが部屋のあそびになっている。
家の随所に見られる「いろいろ考えたんだろうなあ」と思わせる改築の跡は、最初からできあがっている家にはない、ちょっと変則的な楽しいリズムをもたらしてくれる。 家は、新しいものを手に入れなくてもいいのではないか。
私たちの住む共同体の共有財産として受け継いでいくのが、豊かなことではないか。 もちろん、家を新しく建てる楽しみもあっていいけれど、それにはいい家をつくれる資産と教養があることが条件でなければならないだろう。
家には、「住みこなす」という、「建てる」よりももっと大きな楽しみがあるのだから、その楽しみをみんなが受けられるいい家が、 もっともっと共有財産として世の中にあったほうがいいではないか。 自治体や個人の大家さんがいい借家を提供するのでもいいし、古い家が売買によって受け継がれていくのでもいい。
そのとき、ただ新しいだけのぺらぺらの家も、ただ古いだけの手入れがされてない家も、淘汰されてなくなっていくに違いない。 代々の住み手が心をかけてきた家、心をかける家が、残っていってほしいと思う。
たまに、「Tさんは、どんな家が好きなんですか」「Tさんが建てるとしたら、どんな家ですか」と訊かれる。 日頃の言動から、たいていは、日本家屋が好みなのだろうと思われているらしい。
さて、私は、どんな家が好きなのか。 大正から昭和初期に建てられていたような、なんでもない日本家屋は好きだ。
そう、例えば映画に出てくるような家。 玄関は引き戸で、高い上がりかまちに黄色い電球。
壁はしっくいと木でできていて、廊下をとおって各部屋に行く。 部屋は畳で、襖や障子を取りはらえば広い一間になる。
ああ、それから、障子を取りはらったあとは、柱だけになって、そのまわりを三六〇度ぐるっとまわれる。 障子を開けると広い縁側がとおっていて、硝子戸がある。
ここは「ガラス」ではなく「硝子」でなければ、細かく桟が入っている。 軒は深くて、雨の日でも縁側を開け放でなくては。

二階にはいまふうのベランダなんてなくて、むかしながらの出窓というのか、植木鉢を置いたり手ぬぐいを干したりできるような木の台が取りつけてあるのがいい。 物干し台はかならずほしい。
そして、外壁は杉の下見板張り。 屋根はむかしながらの瓦。そんな家が好きなのである。

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